田舎僧侶の暮らし

けっこう長芋が好きな坊主のブログ

読書感想文『センスは知識からはじまる』

著者が、あの「くまもん」を作った人たちの1人ということで、気になり読んでしまいました。

 

水野学:『センスは知識からはじまる』読了しました。



f:id:nagaimo_itiban:20210124111846j:plain

 

 

 

 

センスがある。センスがない。

 

こればっかりは、各々の人間のキャラクターとか性格によって変わる物だし、抽象的な概念すぎて、言葉によってセンスがあるとか、ないとか判断できるものではなくて、漠然とした概念的なニュアンスで捉えていたけど、著者に言わせればセンスは磨くものであって、その努力をしていないだけじゃない?と言われているような気がした。

 

 

仮にセンスが水だとして、誰もがもともと水を持っているとします。ある人は、その時その時に最適な水の出し方を考え、表現する力があります。例えば、暑い夏の日にはきりきりと冷やしてレモンをひとしずくたらし、冬には口にすると体の芯から温まりそうなお茶を淹れるというように。ある人は、水の出し方などはなから考えず、同じように供するだけです。例えば、生ぬるい上に、新鮮でない水を、365日差し出すというように。p37

 

前者と後者。どちらがセンスがある人かは言わずもがな明白だと著者は述べます。

そして、そういう行為をするセンスさえ、自分で作り上げられるものであり、それは知識から始まる物だと述べます。




センスは知識からはじまる



このタイトルにもなっているように、「センス」とは知識の集積である。と著者は述べます。



 

「あいうえお」しか知らない人間と「あ」から「ん」まで五十音を知っている人間とでは、どちらがわかりやすい文章を書けるでしょうか?−中略−センスがいい文章を書くには、言葉をたくさん知っていた方が圧倒的に有利である。これは事実です。p74

 

センスは知識の集積ということを、具体的に示すやり方として、五十音をたとえに出していたところが、わかりやすかったし、何もこれは五十音だけに当てはまることではなくて、いろんな職種の仕事にも当てはまるように、知らないということが不利に働くことの方が多いから、知識を蓄えることはやった方がいい。とのこと。



あっと驚く物は売れない



 

たとえばiphoneは、かつてなかった商品とされますが、固定電話、携帯電話という流れに沿ったものです。akb48はおニャン子クラブ、モーニング娘。の流れを汲むものでしょう。インターネットにしても、飛脚、郵便、電報、テレックス、ファックスという通信手段の流れの中にあります。p78

 

これらに共通することは、過去にあったものを、少し改良した物が便利な物として新たに登場してくること。

例えば、飛脚が主流の時代に、スマホを持っていったとしても、それは何?という反応をされるだけで、それを便利なものとしては使われないよ。

ということのように、進歩はちょっとずつでしか進んでいかない。

 

だからこそ、今では当たり前として存在している「あっと驚かないもの」を知識として蓄えて、次の機能として求められる物はなんなのか、を考える方が現実的。



まとめ

 

いろんな物も情報もあふれるの世の中になってしまいました。

 

そんな時代には「質」に重きが置かれるようになる。これは戦国時代にも起きた現象だし、世界史でいうところのルネサンスにも当てはまると著者はいう。

 

そんな「質」を生み出すために必要なセンスは、知識を蓄えることで磨くことができるという。

 

センスがある、とかないとか、言葉で表し難くて、誰しもが持っているとは到底思えない。

 

けれど、実は誰でも持つことができるものなんだよと諭されているような気分になりました。