読書感想文『白菜のなぞ』
このタイトルと表紙の顔に心惹かれて、衝動的に借りてしまいました。
板倉聖宣:『白菜のなぞ』読了しました。
日本人はいつごろから白菜を食べていたのでしょう?白菜の歴史をしらベてみたら、次々とおもしろいことがわかってきました。身近な野菜にかくされた《なぞ》をといていって、科学のたのしさを体験する本。
冬の時期といえば、やっぱり鍋。
そして鍋といったら無条件で入っている、それが白菜。
冬に食べる時が多い感覚だけども、キムチや漬物だって白菜使ってて、オールシーズン食べている感じがする。
白菜が好きだから、食べているというよりむしろ、好きな料理には大体白菜入っているなぁ〜みたいな感覚。
そんな、メインの食材ではなくとも、思いを巡らすと大体の料理に入っているんじゃないか?という身近な野菜、白菜の謎に迫った本。
白菜はどこからきた?
白菜。漢字で書いたら、白い菜。
こんな簡単な字を使っているなら、大昔から日本にあった食材だと思っていたら驚き、外国からやってきた野菜だったとは!
この本によると、明治8年に中国からやってきたのだそう。
これを読んでもあまり附に落ちないほど、今では身近な食材となっていて、信じられなかったよ。
今でこそ白菜の中心部に行けばいくほど白い葉っぱが多くなっていくが、白菜伝来当時は、今の白菜の形とは違っていた。
結球しない白菜
包丁で白菜を縦に切れば、その断面はマトリョーシカのようになっているイメージが頭にすぐ浮かぶ。
それが今の白菜の形で、結球している白菜となるが、伝来当時の白菜は、結球が十分ではなく、小松菜のように緑の葉っぱの割合が多かったのだそう。
やっぱり中国からやってきた野菜だけあって、日本の土には適さない症状がでたようだ。
しかし、そんな結球していない白菜を、今の形に改良した先人がいた。
その名も野崎徳四郎。
白菜への思い
日本で初めて、今のような形の結球している白菜を作った人が、野崎徳四郎。
彼は、愛知県でその栽培に成功したが、そんな時代と並行して茨城県や宮城県でも、白菜栽培研究が進められて行った。
そして、日清戦争の時代になると、各地に兵隊が出征していく中で、中国の立派な白菜をみた人が、日本へ白菜のタネを送ったり持ち帰ってきたりした。
その後様々な人によって研究と実験が重ねられて、やっと日本の土でも立派な白菜が出来上がるようになった。
今の白菜の形が当たり前だと思っていたら大間違い!
試行錯誤を繰り返しながら、中国で育っている白菜の形に近づけて行ったなて・・・・
多くの先人がいて今の白菜があると思うと、しみじみした気持ちになっちゃう。
1年を通して白菜を食べないということは、これからもきっと無いだろうな。
まとめ
鍋といえば白菜。
これはセットと言って差し支えないと思う。
そんな身近すぎる食材が故に、白菜に思いを巡らせることなどないと思っていた。
けどこの本は、そんな当たり前な野菜にさえ歴史があることを教えてくれた。
今度白菜食べる時、この表紙の顔思い出しそう。