田舎僧侶の暮らし

けっこう長芋が好きな坊主のブログ

読書感想文『なぜこんなに生きにくいのか』

 

このタイトルと、表紙の絵でジャケ買いしてしまいました。表紙の絵なんてもう、哀愁漂っていて、読むの一瞬怖くなるけれど、前回読んだことがある著者の南 直哉氏の著書ということで買いました。

 

南直哉:『なぜこんなに生きにくいのか』読了しました。

 

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人として存在するかぎり、苦しみはけっしてなくなることはない。ならば、この生きがたい人生をいかに生きるか、それが人間のテーマではないだろうか。宗教はなんらかの真理を体得するものではなく、少しでも上手に生き抜くための「テクニック」。自らの生きがたさから仏門に入った禅僧が提案する、究極の処生術とは。困難なときこそ、具体的な思考で乗り切るための”私流”仏教のススメ。

 

 

このタイトルといい、この表紙といい、悲壮感漂う内容か?と思いきや、そんなことはなくて、そういう考え方があるのか〜という仏教の考え方を根底に、生きにくいと感じる社会なのはなぜなのか?ということが説かれていた。

 

9年前に書かれた本書。ちょっと時代的に古いかなぁ〜と思いながらも、読み進めていたけど、今の社会でも十分当てはまるようなポイントがいっぱいあった。

 

 

生まれてくることは自分で選んでいない。

 

 

 

著者自身、幼い頃から病弱で、「生」より「死」の方がよっぽどリアリティーあるものとして育ってきた背景がある。

 

 

幼少時から私が感じていた「生きがたさ」とは、どんなに探しても、生きなければいけない確たる理由がわからない、ということでした。仏教を通して、これは原理的にわからないようにできている、という事実に行き当たったときは、切なくもありましたが、初めて納得のいく考え方に出会ったと思えたのです。p227

 

 

私たちの存在は、課せられたものです。生まれる前に、「この世に誕生しますか?」「はい、誕生します」といったやりとりがあって、自ら選んでこの世に生まれるわけではありません。まわりの意志により、生を享け、誕生するのです。その「課せられた」存在がむき出しになったところで、「自己責任」と言われても、責任のとりようがないのです。こうした社会の中で、孤立し、生きる意味を感じなくなる人は増える一方でしょう。p37

 

「生まれたくて生まれたんじゃない!」とか「生んでくれなんて頼んだ覚えはない!」とかの言葉は、全くその通りとのこと。

 

この世に生まれることは、決して自分で決めてはいないという事実ね。

 

民主主義を背景に与えられた自由によって、生まれる選択肢の数々。

 

過去の時代に比べれば自由というものが社会的に与えられているだけでまだましかも知れない。

 

その代わり、自分で選んだ責任は、自分で負ってね。という世間的なオーラは、高校を卒業するあたりから、だんだんわかりはじめてくるような気がする・・・・

 

自己責任うんぬんの前に、我々は生まれたくて生まれたんじゃないという事実を確認する所から、始まるあたり、一体どういう考え方してる著者なのか気になってしょうがないよね。

 

そんな、仕方なく生まれてきてしまった中で、生まれたきた「意味」とか「価値」とかを探そうとするから苦しいのだと、著者はいう。

 

生まれてくる。という現象そのものには価値は無い。その後、生きていくということを引き受け覚悟を決めた後に、生きていく価値や意味を探していくのだという。

 

ただそれも、苦しいんだよね。と著者はいう。

 

 

他人がいるから「私」がある。

 

一方、生まれてきてしまった以上、社会の方から「自己」という存在を規定させられていく。

 

自己が何であるかを決めるのは、自分ではありません。私たちは、他人から「生まれてきてしまった」ことに始まり、言語による思考、直立二足歩行、感情、欲望にいたるまで、周囲の人に教えられることを通じて「人間」になります。つまり「自己」は「他者」を根拠に、他者との関係によって成り立つ存在です。p102

 

社会があたえる「自己」の衣装は、次から次へと変わっていきます。「子供らしく」「中学生らしく」「大学生らしく」「社会人らしく」というように。いつまで経っても自己は課せられ続けるから、どこか別のところに「本当の自己」があるような錯覚に陥ってしまいます。p102

 

 

自分がいるから、他人がいる。のではなくて、他人がいるから、自分がいる。という順番だということ。

 

普段なかなかそいう考え方して生きてないな〜と思ったり。

 

結局、自分の目で見たことや経験したことが、グッと印象に残るから、まずは自分がいて、その周りに他人がいるという思考に陥りがちだけど、そういう順番ではないということだね。

 

他者がいて、自分と比較することによって初めて「私」という存在が規定されるということなんだね。

 

 

まとめ

 

「世界にひとつだけの花」が流行ったとき、悲惨な時代になったと感じた著者。

 

オンリーワンは、ナンバーワンより苦しい。なぜそうなのか。

 

1回読んだだけじゃ、完全に理解できなかったけど、妙に納得するところもあったり。

 

自分が置かれている状況によって、響く言葉が変わる本だと思ったので、本棚に永久保存しようと思います。